ORIYAMAKE

循環狩猟・地方観光について考えをまとめるブログ/瞑想登山家/秋田県北秋田市・森吉山麓モロビの里に生息しています。

地域に住む神様の正体

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ぼくは思ったんです。

地域の色々なところに、色々な神様が住んでいるなぁと。

例えば、山だったり、川だったり。そういった自然だけではなく、神社とか家の中にも住んでいたりします。我が家にある囲炉裏も「火の神様」が座る場所だからと、定期的に灰をザルでふるって、囲炉裏の中を柔らかい状態に保っています。それを怠けると石ころのような炭や灰のカタマリができて見栄えも悪いですし、弾ける原因にもなります。

でも、そういって年上の人から教わってきたことですが、いざ自分自身に子どもができ、教える方の立場になると「神様」に対する見方が変わってきました。

なにか子どもが近づいたりして、命を落としてしまうような場所。山だったり、川だったり、薄暗い神社だったり。子どもが1人で近くまで行かないように、強く押さえつける代わりの、少し遠回しの言葉が「神様」だったりするのかなぁと思ったりしたのです。神様のせいにするわけでもないですが、神様の力を借りるというか、大人たちのそういう「地域の子どもを心配する気持ち」や「地域の子どもを守りたいという気持ち」が神様という形を借りて表現されているなぁと感動しました。

そんなこんなで今日も囲炉裏の灰をふるっていたのですが、子どもが近くを走っていたので「ここは神様が座るところだから綺麗にしないといけないし、走り回ってもいけないよ!」といつものように話しました。話したところで、自分も何気なく言葉に出していたものの、注意するということは、子どもが囲炉裏に落ちないように、火傷しないように、という気持ちが第一に来ていて、その気持ちを伝えたいときの「最上級の代理人」としての「神様」なのかもなぁと思ったのです。

そのようにして考えてみると、子どもの頃から教わっている、この地域の至る所にいる神様は大勢の大人たちの「見守る眼差しの心」が別の形になってずっとそばにいてくれるような気持ちになりました。この地域に住む顔も知らない誰か大人の、子どもを守りたいという気持ちを、神様を大事にするという行為でずっとずっと繋げていきたいと思います。