ORIYAMAKE

瞑想登山家/秋田県北秋田市・森吉山麓モロビの里に生息しています

アイディアの価値が限りなくゼロに近い時代

【口だけでは誰も動いてはくれない】

地域活性化の名のもとに、行政懇話会や地域懇談会が税金をつかって今日もどこかで行われている。私も機会があれば参加しているが、そこで繰り広げられる寸劇には辟易としている。それは、地域の衰退を裏打ちしているようにも感じられる。
『私はこんなアイディアを持っている』『こんなことをすれば○○は良くなる』というもの。演説が急に始まるとギョッとする。最近では『○○をすれば、きっと良くなるだろうけど、でも貴方たちはやらないでしょうね』という意味のない皮肉をぶつけていた人もいて更にびっくり。一体何様が紛れ込んでいたのだろう。口だけで理想を語り、やらなければ貶す。あぁ、なんて楽チンなポジションでしょう。口だけ番長。
 

【ブレーン・先生的なポジション】

きっとその人たちはテレビの見すぎだ。コメンテーターや評論家が幅を利かせすぎている。これで良いんだと思ってしまう人も少なくないだろう。アイディアだけを言っていると、その組織のブレーンになったような、プロデューサー的な立場にたったような気がしてしまう。行政や第3セクターでは、それに対する反論や意見が出せず、うんうんと相手が気持ち良くなるように頷き、時間が過ぎるのを待つ。
 

【アイディアを実行できないのには理由がある】

行政だってバカではない。過去に十分に内部で議論を重ねたものであっても、発言者が初めて考えたという顔で、したり顔で言われることもある。それを、うんうんと頷きながら感心したフリをして聞くことも仕事のうち。実行できなかったのには色々な訳があるのだ。
それにしても、訳があればやらなくても良いということではないが、住民は行政に対して、自分ではできもしないことを何故『やれやれ!』と言えるのだろうか。本当にやれやれである。
行政は巨人ではなくなった。行政も我々と同じ非力な人間の集まりにしかすぎなくなってしまった。時代はかわってしまった。住民が巨人の手のひらの上で殿様でいられた時代の終わり。
 
 

【自分だけでも出来ること】

アイディアには1円の価値もない。気になることは想像するよりも、検索した方が早い。前例が腐るほど出てくる。そもそもアイディア1本で動けるほど柔軟な世の中ではなくなってしまったこともあり、アイディアだけマンは居場所がない。それに、1つのアイディアを実現するためには、更に10~100のアイディアを支えるための工夫や、努力が必要になる。100工程のうちの1つだけをやって、俺の仕事は終わった感を醸し出さないでほしい。
それよりも今後は、自分が100までの工程のうち、10まではできます。20まではできます。39番のここだけはできます。という意思表示が必要なのではないか。
 
 

【1人ひとりが活動している姿が地域を変える】

まず、地域に必要なことを全体で協議し、共通の目標を定めることがスタート。そのあとは、アイディアは必要ない。実行あるのみである。地域住民1人ひとりが、目標に向かって各々ができることをできるだけやることが必要だ。やってみた時に「1人ではできない」となってはじめて行政や他の人の力を借りれば良いのではないか。最初から他人の力をあてにするのではなく。
きっと、他人の力をあてにしている姿しか見ていない子どもや孫の世代は、その地域から出ていきたくなるだろう。未来が見えないからだ。
1人でも活動していれば、誰かが見てくれる。それはご近所さんか、観光客か、子どもか、孫か。
 
 

【当事者になる勇気を持とう】

行政懇話会、地域懇話会がそれぞれの活動状況を報告し、お互いに協力し合える関係づくりができる場になることを望む。現状では、ただのうっぷん晴らしの場だ。もったいないおばけがでるぞ。
自分で活動を始めることは物凄く勇気がいることも分かる。当事者になってしまえば、問題も勿論起きてしまう。しかし、それができない地域は、消えてなくなるのを待つだけだ。
住民1人ひとりが傍観者から当事者になったとき、それこそが地域が活性化されたときではないだろうか。