ORIYAMAKE

瞑想登山家/秋田県北秋田市・森吉山麓モロビの里に生息しています

閉鎖的な県民性のままでも良いじゃない

秋田県の知事がまたしても不適切発言をしたということで記事の内容を読んでみました。

www.sakigake.jp

内容といえば秋田県の人口が減少している原因は、閉鎖的な県民性にあるのではないかという持論を展開したそうです。それについては頷ける部分もあるのですが、これが全てだとは思えません。

なぜなら田舎の地域、ローカルなところはすべからく生存するための戦略としてそのような性質を持ち合わせていると思うからです。都会においても隣に住んでいる人の顔を知らないであるとか、無言で息のつまりそうな満員電車など、閉鎖的な気質というのは日本人として多分に含んでいるとは思います。

でも、今日言いたいことは田舎の方が閉鎖的か、都会の方が閉鎖的かということではなく、問題の根本は果たしてそこにあるのかどうかということです。もし問題点が閉鎖的な県民性にあるとすればどのようにして解決していくことができるのでしょうか。それを確かめることはできるのでしょうか。

 

ここでひとつ私の仮説を言ってみたいと思います。それは、過疎地域や人口減少地域の共通の問題として感じている部分ではあるのですが、もしかすると全く的外れなのかもしれません。それでもこれからの自分はこの仮説に則ってひとつふたつ行動を起こしてみたいと考えています。

その仮説とは、端的に言うとローカルの地域には物語が足りていないのではないかということです。いつも厳しい現実ばかりを見つめなければならない環境、目先のことに集中しなければならない環境というのが、息苦しさ生きづらさに繋がっているのではないかと思うのです。物語といっても、単純にフィクションのことを指しているのではありません。それはドキュメンタリーでも良いと思うのですが、それぞれ自分の中にある想像する力をもっと使っていかなければならないと思うのです。子供の頃に花開いていた想像力は、大人になるに従い萎んでいく傾向にあると思いますが、それは自分で刺激し続けることによってさらに大きく育てていくこともできるものだと思います。

想像力という種に水をあげるという意味での物語。想像力は相手を思いやる気持ちにつながり笑顔につながり、生きやすい空間を作ることにつながっていると考えています。

では、今まで物語がなかったかというと、そうではありません。この大自然の中の地域で、自然と人間との関係から生まれた物語は今までにもたくさんありました。まずはそれを集めたり復元したりするところから始めても良いのかもしれません。閉鎖的な地域性を変えるというのではなく、それは認めつつも、周りの他者からの目線というのを獲得することで、より柔軟な対応をすることができるようになっていくのではないかと思うのです。その地域のファンになってくれる人を増やしていくことにも繋がると思いますし、より多くの人にこの地域のことを知ってもらうための材料の一つにでもなってくれたら嬉しいと思っています。

私自身が、現実的な問題ばかりに追いかけられ続けた7年間であったと思いますので、少しは空想の世界に帰りたくなったということもあるかもしれません。また今後の方向性、考え方は変わることもあると思いますが、今の気持ちはこんな感じでした。

閉鎖的な県民性のままでも良いじゃない、相手を思いやる心があれば。

山のクルミと熊の話

今日は集落のおじいちゃんから、熊の習性をひとつ聞いた。

熊は雪が降ると冬眠することは誰でも知っているけど、その更に詳しい時期までは知らない。というか、熊が近くにいる状況でなければ知らなくても良いことだ。

でも我々、山里に住む人には重要なこと。

今日聞いた話では、熊が山のクルミを食べているかどうかで、熊の冬眠が早いか遅いかが分かるらしい。クルミは基本的には不味い食べ物だ。殻が硬くなって、実が熟してくると美味しくなるが、熊が食べられるのは殻が硬くなる前の青臭くて苦い時期。そのクルミを食べているということは山に食べ物が少ないということで、クルミが山にいっぱい落ちていれば、他に食べるものが豊富で熊がクルミを食べる必要がないという判断材料の一つになるらしい。

でもどちらの方が、冬眠が早いのだろうか。山に食べ物が豊富だと、すぐにお腹がいっぱいになって、早めに冬眠してしまうそうな気もするが、実際は逆だ。クルミが沢山食べられている年、山に食べ物が少ない年の方が冬眠が早いとのこと。11月15日から熊猟の時期になるが、年によっては11月15日の時点で既に冬眠している熊もいたそうだ。熊は山を歩いても食べ物がなく消耗するだけだと判断して、初雪が降るか降らないかの時期に冬眠を選択する。なるほど。

そうなると、全く熊が獲れなくなって、行政は熊の獲りすぎを懸念して翌年から自粛を呼びかける。でも実際は、熊の数が減っているだけではなくて、表を歩いていないだけだったりもするそうだ。熊の捕獲の数だけで判断できないと勉強になった。山の状態を観察し、総合的に判断しなければ熊の数はよく分からない。

また新しい話を聞いたら記録していこうと思う。

森吉山北麓に住むひとりの人間の自然観

※以下、とりとめのない文章ですので、ご注意ください。

 

狩猟文化や、山里での暮らしが全国的に失われつつある現在。アウトドア系の雑誌や、大学の研究機関、学生団体、移住定住関係、海外のテレビ局など様々な人からのコンタクトが増えてきています。外国人観光客は「マタギ」という言葉こそ知らないものの、険しい山の麓で日本人がどのように生きてきて、1万5千年以上前の旧石器時代から継承してきた考え方や自然との向き合い方には興味津々です。特に「自然や動物との共生のあり方」「文化継承のための取り組み」というのは世界共通で、これから増々重要になってくるものなのかもしれません。

 

私自身、地元の猟友会のおじいちゃんたちが「猟友会、狩猟者の役目は終わりだ」という度に「これからどんどん必要とされる時代にまたなっていきますよ!」と言い返しています。猟友会のほとんどの方は65歳以上なので、年金で生活していたり、森林パトロール(林道の草刈り等)の仕事をしている方もいますが、かつては狩猟だけで生活が成り立っていた時代がありました。その良い時代と比べてお仕舞だというのですが、熊一頭で4人家族が一年間暮らせるほどの収入になった時代です。今は法律が変わり熊の胆や骨、血等が薬として自由に売買できなくなったのと、皮等の需要がなくなったため、価値が200分の1以下となり、狩猟だけで生計を立てることができなくなってしまいました。しかしながら、北海道ではエゾ鹿をメインとして狩猟だけで生活をしている人もいますし、今現在は当地域(北秋田市)には鹿もイノシシも生息していない(江戸時代までは生息)のですが、昨今の温暖化で再び北上しており、目撃情報も年々増えている状況なので、これからの時代はまた狩猟(有害駆除等を含め)が生活費を支える大きな柱となっていくことも十分考えられるようになってきたのではと思います。

 

ここでひとつ私の考える「マタギ」について言及しておくと、一般の方が考えているマタギというのは教師や警察官のような職業として捉えられがちなのですが、私はそれだとマタギという存在を誤解してしまうと思っています。ホントはマタギという言葉を使わずに説明ができれば一番いいのですが(手垢まみれになっていて誤解の部分が大きくなっているので)、ひと言でいうとすれば、マタギは単なる職業ではなく、山里で暮らすことに適したライフスタイルの1つだと思っています。そもそもマタギの語源にも諸説あり、北海道のアイヌ語で冬の人、狩猟を意味する「マタンギ」から来ているという説や、山をまたぐように速く歩くことができるから「マタギ」という人もいますし、マンダの木(一般的にはシナの木)の皮をはいで道具を作っていたので、マンダ剥ぎから「マタギ」になったという人もいます。それから股が分かれた木の棒を使うのでマタギとか他にも色々な説があるのです。

私が山のことを教えてもらっている師匠のような人は「マタギ」というのは、自然界と人間界をまたいで活動する人、一年を通して春夏秋冬、四季をまたいで山と関わって活動する人のことだと言っていたので、それを信じて活動しています。マタギがいるからこそ、山と人間との調和がとれていると私は考えています。熊が里に下りてこないように教育をしたり、山道の整備や生態系を守ったりもしています。毎日のように山に入り活動をしている人もいますが、私は外国人向けにこの地域の狩猟文化や自然に対する考え方を伝える宿屋として、その文化を広く知らしめることでマタギ文化が途絶えることのないように、少しでも理解してもらえるように活動しています。生活のメイン、主たるものというよりは、根本にあるものという感じです。しかも外国人というのは集落を散歩しているだけでも大注目を浴びるアイコンとなってくれるので、否が応でも地元の人たちの宿への興味、狩猟への興味も上げていってくれています。今は兎にも角にもインナープロモーションの時期なので、外国人に良さを伝えて、逆輸入的に広めていく方法をとっている宿屋なのです。

話をマタギに戻しますと、源平合戦の落人が阿仁の根子集落に住み、マタギ文化の元祖ができたと言われていますが、私は森吉山北麓の狩猟文化の始祖は1万5千年前の旧石器時代から受け継がれているものだと考えているので、あまりマタギ固執しているわけでもないのです。現在、北秋田市で見つかっている遺跡の中でもっとも古い「二重鳥遺跡」が森吉山北麓の森吉山ダムの底に眠っています。1万5千年前と今が重なる瞬間が山里の暮らしには多いと気づかされます。


また、雑誌やテレビなどのメディアの取材が一時期とても増えましたが、害になることばかりで特に良い変化は見られませんでした。最近では日本のテレビの取材は全てお断りしています。何度説明しても日本のテレビでは熊狩りの一面のみが取り上げられるからです。センセーショナルですし、映像としても迫力があるので仕方のないことだと思うのですが、それは11月中旬から12月中旬と、4月下旬から5月上旬まで(生息数調査、予察駆除)の本当に短い間の姿なのです。それ以外では熊狩りは行いません。テレビ東京の番組ではウサギ狩りと説明していたのに、本放送では熊狩りとして紹介され猟友会からお叱りを受けました。日本のテレビ局って本当に目先の視聴率以外考えていないのだなと思い知らされた出来事でした。熊狩りはマタギという姿が二十面あるうちに一面だけでしかなく、それ以外のマタギの姿というのは、山が好きで好きで仕方のない人、山に行かないと体がムズムズしてきてしまうような、そんな人たちばかりです。春は山菜採り、夏は魚釣り、秋はキノコ採り、冬はウサギ狩りがメインです。私はこの地域の狩猟者(便宜上マタギという言葉を以下使用します)、マタギは「里山保全者」とか「山の哲学者」だと思っているのですが、物心がつくまえから2,3歳のころから山に入り、食べ物も遊び道具も全て山から授かって生きてきたのがマタギの姿だと思います。マタギの伝統について、まずハンターとの一番の違いは、猟に出て獲物がとれなかったときの考え方に現れています。ハンターの場合は「獲物がとれなくて残念」という感情が第一に出てくると思うのですが、マタギの場合は違います。マタギは獲物は全て山の神様が授けてくれるものだと考えているので「今日はこれが一番良いと山の神様は考えているのだな」と思います。もし、獲物が出てきて無理に追っていたら、崖から落ちて大事故につながっていたかもしれないし、獲物がとれなくても今日は今日で良かったと思うのです。それから、山菜採りやキノコ採りのときに現れるのですが、必ず来年、または次の世代のために残すというのがマタギの姿です。5本はえていたら、3本を採り2本を残します。他の山菜取りの人は5本とも採っていってしまうのですが、それでは来年以降、同じ場所で採ることができなくなってしまうのです。そういった山を大切にして、山を育てながら、山に育てられているというマタギの姿はなかなか伝えることが難しい部分です。

 

熊や動物は人間たちと同じなんです。ひとくくりに語れるものではありません。熊は美味しい、不味い。ウサギは美味しい、不味い。ドヤ顔でそんなことを言ってくる人もいるのですが、それは食べたものや時期、処理の仕方によっていかようにも変わります。自然のものは一頭ずつ生き方が違います。味が違うのは当たり前ですよね。スーパーマーケットで食肉として牛、豚、鶏を購入することに慣れ過ぎてしまうと、その当たり前ですら忘れてしまいます。山里の暮らしは、その行き過ぎた便利さにブレーキをかけてくれる大切な役割があると思います。熊は一頭一頭、ほんとうに性格が違うんです。なので、一頭一頭対処方法が変わってきます。熊だから何が何でも駆除をしろ、という圧力が一昨年、昨年と強くなった時期もありましたが、人間を襲った熊は殺されるべきかどうかという問題は、熊を襲った人間は熊に殺されても仕方がないかという問題と同じなのです。動物は人間よりも下等な生き物だと、多くの人は思っているかもしれません。しかし、こと山の中になると動物の方がはるかに賢い生き物だと思い知らされます。現代人がいかに山で弱いか、ひょろひょろのモヤシ状態で育ってきたことが痛いほど分かります。

 

人間の伸び切った鼻をへし折ってくれる山は、なんだか心地が良いものです。

文章がまとまらなくなってきたので、今日はここまで。